中部砲台跡
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南部砲台跡
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南部砲台跡。芸予要塞は、軍事上重要な都市であった広島と呉を守るため、また、日清戦争(1894〜18 95年)後の内海防備の必要性から、大久野島と南の愛媛県小島に造られました。
ここ南部砲台跡では、全体で8門の大砲が置かれ、現在4門の砲台跡が残っています。
南部照明所跡
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南部照明所跡。明治の芸予要塞時代に探照灯(サーチライト)がおかれていた場所です。
探照灯を配置し、夜間の敵艦探知を行う施設でした。
照明所には「照光座」と呼ばれる探照灯が可動する場所があり、照光座の真下には「電灯井」と呼ばれる空間があり、エレベーターまたは手巻きリフトによって探照灯を地下に格納していました。
この頃の探照灯は、反射鏡の直径90センチ、照射到達距離は約6kmでした。
大久野島には北部にも同じ照明所跡が見られますが、現在は立ち入りが禁止されています。
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