大正3(1914)年の開山以来、約半世紀にわたって国内の硫黄の3分の1を生産したことから、「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれた松尾鉱山。最盛期には従業員4200人を擁し、家族を含めると鉱山だけで2万人を超える一大別天地に。

 だが、生産量以上に同鉱山が誇ったのは、充実した福利厚生施策だった。私学の開校、警察・消防署や郵便局、総合病院など公的施設の開設。さらに映画館も開館するなど標高1000メートルもの高地での繁栄ぶりに“雲上の理想郷”とも称された。
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 中でも、親しみを込めて「アパート」と呼ばれた社宅は昭和27年に、大手ゼネコンが共同で建設。全戸に当時は珍しかった水洗トイレが完備された。だが、入居者の多くがコンクリート造り住宅を知らなかったため室内で七輪を炊いて酸欠になる人もいたという。
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 閉山後に82棟あった木造住宅は火災燃焼実験などで焼失したが、アパートは取り壊されずに50年以上たった今も残る。鉱山斜陽化の象徴にも見える廃墟群だが、離散後も交流を続ける人たちの心を結ぶ絆(きずな)になっているように思えた。
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